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#12 アヤノとサキのボトルカバー

2022年2月15日

先日、「スタンレーボトルカバーを販売します」とストーリーに流したのですが、想像以上の反響で驚きました。




カバーを作り、初めてpostしたのはもう5年ほど前の事です。

「販売してもらえませんか?」と未だに沢山のDMをいただきますが、ハンドメイド。革の切り出しから目打ち、縫製、磨き・・・

時間と手間を考慮すると、とても販売できる価格にはなりません。

ボトルカバー1つ仕上げるのに最低でも3日。

仮に3万円でお願いしますと言われても・・・そんなアレなんです。



昔、このスタンレーを作ろうと思ったキッカケを投稿したことがありました。

投稿は定期的に見直し、整理しています。特に長文の投稿に関しては消去することが多いので、当時の投稿はもう消しちゃったんですけどね。




先日のストーリーを見て、3年も前の投稿を未だに覚えてくれている人から沢山DMを頂きまして。

本当に驚いたのと同時に、すごく嬉しかったです。改めてありがとうございました。



今日は、このボトルカバーを作ろうと思ったキッカケについて、改めてお話ししようと思います。

長くなりますが最後までお付き合いください。



「もし、事故や病気で突然この世を去る事になったら」

そんなことを毎日考えている時期がありました。

東日本大震災。津波で多くの命や生活が失われ、日本中が悲しみに暮れていた時です。



当時、毎朝観ていたニュース番組が、みのもんたの朝ズバ。

番組の中で「前を向いて歩こう」というコーナーがありましてね。

被災地で復興に向けて苦闘する人達のドキュメントを毎日放送していました。


弟・妹・兄・姉を亡くした子供。

両親を亡くした子供。


まだ幼い我が子2人と、どうしても重ねてしまう。

我が子を残し先に旅立った親のことを思うと、無念で無念で・・・いたたまれない。

そして親を失い、それでも頑張って明るく生きようとする子供たちを見る度に胸が詰まり、涙が溢れました。



通勤中、信号待ちになる度に映し出される画面に我を忘れ、後ろからクラクションを鳴らされることも。車で通勤していたので、社長に呼ばれて迎えに行く日もしばしばあったのですが、

「おまえ、目、真っ赤やぞ。また泣いとったんか。」

と、当時はよく笑われたものです。



もし俺が今死んだら、成人する頃には

もう俺のことなんて、殆ど思い出せないんだろうなぁ・・・

と。


「形見の品」




縁起でもない。

そうは思いながらも万が一の万が一。

今思えば、当時は親としての責任感を強く感じていたのだろうと。



何かカタチとして残せるものを作ろう。

大人になっても、ずっと使い続けることができるものは何か。

しかし、いくら考えても「これだ」というものが思いつかず・・・





月日は流れ、長女も小学3年生になる頃。

キャンプ用にとスタンレーの水筒を注文したのですが、箱を開けてボトルを持った時、

「あ・・・・・・・これだわ!」


じっくりとデザインを練り、何度も修正を加えてカバーは完成しました。



完成した日、

「あぁ、囚われが1つ減った。」

なにか、こう・・・安心できた、と言うか。そんな心境でした。

プレゼントした日、ものすごく喜んでくれた姿を今でも覚えています。

「嫌やったら無理に持っていかんでえぇよ。

新しい水筒また買ってあげるからな。」

そう言ったのですが、

「いい。別に言われてもいいねん。

サキちゃんはこれがいいからずっと使うねん。」



本当に嬉しかったです。

湯舟の中、長女に涙目を見られるのが恥ずかしくて、僕は何度も顔を洗うフリをしました。






作った水筒カバーは大小2つ。長女は名前の刻印を入れて。

次女はクマの刺繍を入れてます。




長女も6年生になり、さすがに学校へは持っていかなくなりましたが、キャンプには必ず持っていきます。



その水筒カバー。3年経って、めちゃくちゃ

カッコ良くなりました。

やっばり使い込んだ革って、何とも言えないアジがありますよね。風合いといいますか。



高校生くらいになったら、またカッコ良いと思って毎日使ってくれたら嬉しいなぁと。






もう少し書きたかったのですが、インスタ投稿文は2200文字が限界。

続きのお話しは、このボトルカバーを手にした皆さんで書き足してくださいね。





どぅ?

くさい?

今日もうまいこと締めくくったつもりやけど・・・(笑)





では、また。

#アヤノとサキのボトルカバー


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